イーハトーボ教育研究所 井出良一のブログ

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2012年 07月 10日

桑の木は残った

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「アンネの形見のバラ」が私が赴任していた学校に残った話を書いた。もう、一つ、残った木の話をしたいと思う。

市の研究所に時間があったら若い先生たちが集まって、こんな授業をした、こんな実験をしたとわいわい楽しい時間を過ごしていた。(今の学校では、こんな自由に授業の話をする時間はない。要りもしない書類がどんどん降りてくる。誰がこんなに学校を忙しくしたのか!)

こんな感じで研究所に集まって、違う学校の先生たちと授業の交換会のようになった。私は、蚕を飼うために桑の木を群馬の師匠から頂いて植えているというような話をして、蚕がいかに楽しい授業になるかなどを話した。(拙著『イーハトーボ小学校の総合学習』一ツ橋書房刊に詳しい)研究所の担当をしていた先生が、各学校に桑の木を植えて貰おうと10本ずつ配ることにした。

しかし、各小学校でその桑はほとんど植えられなかった。教頭先生が捨てたという学校もあった。やはり、私がその後、赴任した学校には一本もなかった。

私が初めて赴任した学校では、60種類もの木を植物の好きな先生が植えていた。私も授業に役立つ木を植えた。桑畑も作った。孟宗竹も植えた。木が増えると仕事が増えるからと切り倒す人がいたが、話し合って、木を育てた。今でもたくさんの木に囲まれた学校である。

私の知人が30年後、この学校に赴任した。そして、1本の桑の木に巡り会う。その先生は、蚕を育てる授業を始めた。

森のある学校にしたいという思いは、先生になった時から持っていた。「暮らしの手帖」で森のある学校を知ったからだった。東京都の世田谷区だったか(?)が、区の学校に順次、森を作っていたのだった。

1本の桑の木だけでなく、多くの木が大木となって残っている。絵本の『木を植える人』ではないけれど、植えられた木は、植えた人には恵みをくれないが、何十年後の人たちに恵みを与えてくれる。私が小学校の時に山の木は、孫のために植えると習ったのを覚えている。
(「桑の木は残った」の題は、山本周五郎の『樅の木は残った』から題をつけた。若い頃、山本周五郎を読みふけったことを覚えている。心打たれる話が多かった。)
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# by ir_ihatov | 2012-07-10 20:46 | 教室・保育室・講義室から
2012年 07月 09日

「アンネの形見のバラ」

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今から26年前の話。1986年度のある小学校の卒業生たちが植えた「アンネの形見のバラ」。
アンネについて書かれてあるその板は、市の林業組合の人の計らいで、山の中で杉の木の間伐をやらせてもたった、その木である。楽しい授業だった。町の小学校の子どもたちが過疎地の山の中で木を切る授業が出来たのは、たくさんの人の協力があったからだ。


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考えてみれば、私の授業は、ほんとうに多くの人たちに支えられてやってきたのだと思う。

本来は、その間伐材で竪穴式住宅を校庭に建てようという計画だったが、果たせなかった。私に癌が見つかり3学期に7時間の大手術の後、1ヶ月余り入院したからだった。

「アンネの形見のバラ」は、亀岡市の方が、アンネ・フランクの父、オットー・フランクから贈られた「アンネの形見のバラ」を接ぎ木で増やされていた。手に入れるには1年間かかるのだが、卒業記念ということで3月に送ってもらった。ありがたかった。

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高槻市の上牧にある教会には、何本もの「アンネの形見のバラ」が咲き誇っている。その教会で催されたユダヤ人の虐殺、ホロコーストを訴える展示会のパンフレットに私の学校の名前も入れて欲しいと学校を訪ねられた牧師さんにお会いした。

その会で見たものは、アウシュビッツ収容所から送られてきた人間から作った石鹸や髪の毛で編まれた入れ物など、そのむごたらしさは、今でも私の脳裏から離れない。

戦争の悲惨さも水俣病の苦しさ、ひどさも授業であつかった。村山内閣で大きく前進したとは言え、今でも補償してもらえない人たちがいる。水俣病をくわしく知っている若い先生や学生は少ない。これも若い人に伝えていかなければならない。

「環境」という言葉は、日本が豊かになってから言われるようになった。その当時は、「公害」と呼ばれていた。「公害」という言葉は真実を隠す言葉だ。決して「おおやけの害」ではない。身体の骨がねじ曲がり、多くの人が死んでいった。

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原発反対運動で有名な高木仁三郎さんが「環境にやさしい」と言う言葉を作った。後に、彼は、少し甘い言葉だと反省の弁を述べていたが、今では、「環境の授業」は学校でも堂々と出来る。それだけ豊かになり、科学が進歩したと言うことか。

高木さんが言われていた通りに、福島第一原発の事故が起った。水俣病の時と同じく、真実が隠された。この数十年、政治と企業倫理は変わっていないということか。

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私が斎藤喜博校長から学んだことの一つ。「教師の仕事というものは、朝に浜辺に砂山を築いても、夕方の一波で砂山は残らない」ということだ。歌人でもあった斎藤喜博さんの師匠、土屋文明から斎藤喜博さんが言われた言葉だ。

私は、授業とは、その瞬間に子どもたちの中にわかったという喜びや豊かさや基礎学力を育てることだと思っている。「今を生きる子ども」であってほしいと願っている。そういう授業をすることが教員の喜びなのだ。授業は、自分の喜びのためにやっていると思っている。

そんなに長くは残らないだろうと思っていたが、178人の子どもたちと植えた「アンネの形見のバラ」は、今でも花を咲かせているという。それも、今年が最も美しかったとその学校の先生からメールで写真が送られてきた。


「アンネの形見のバラ」は、校門を入ったすぐ右に植えられている。登下校の子どもたちが、親たちが必ず目に入る場所にある。アンネ・フランクと子どもたちと私たちのメッセージを何人もの人たちに26年間も語り続けてくれたことはとてもうれしい。
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# by ir_ihatov | 2012-07-09 01:52 | 教室・保育室・講義室から
2012年 07月 06日

映画「天地明察」の試写会

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映画「天地明察」の試写会

2012年7月6日 なんばパークスシネマ

江戸時代の天文学者・安井算哲(渋川春海)が正確な暦を作るまでの話。久しぶりにいい映画を見た。

主演は岡田准。姐さん女房のように彼に付き添う妻の村瀬えんには、宮﨑あおい。研究者として挫折する算哲に、そっと寄り添って心を身体ごと包み込むような演技がよかった。

いつものくせのように、この映画を、高校の科学の授業に利用できるなと思うのは教員としての性なのかもしれない。新しい授業が出来そうだ。


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パンフレットにあったこの写真を見て驚いた。まるで、私がイーハトーボ分教場に勤めていた時、子どもたちと光るシートを使って全88星座図を天井に描いていたときとそっくりなのだ。私は、この星座図に「銀河鉄道」を走らせて、子どもたちと喜んでいたのを思い出した。


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原作は、冲方丁。昨年の本屋大賞第一位になった話題作「天地明察」(角川文庫刊)

監督、脚本は「おくりびと」の滝田洋二郎(アカデミー賞受賞監督)。音楽は久石譲。「おくりびと」に続いて担当。

出演は、松本幸四郎、中井貴一、市川猿之助、市川染五郎、佐藤隆太、岸部一徳、笹野昌明、白井晃、横山裕、渡辺大 他 角川映画、松竹共同配給

いい映画を観ると心が温まる。
また、映画館で懐かしい人に出会った。チャップリンのことが蘇ってきた。  
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# by ir_ihatov | 2012-07-06 23:45 | 映画
2011年 09月 30日

外村文象詩画展

     
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 外村さんとは「高槻賢治の会」で知り合った。詩人の外村さんは絵も描かれる。ヨーロッパの風景や瀬戸内の海の絵。心が穏やかになる。絵が描けるっていいな。                 
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# by ir_ihatov | 2011-09-30 20:16
2011年 09月 30日

映画「アントキノイノチ」

                     
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岡田将生、榮倉奈々主演。原田泰造、吹越満、壇れいなど脇役陣をかためている。原作はさだまさし。これも現代社会の人間のつながりの希薄さの中で心を閉ざす若者の姿を描く。
この頃、テレビドラマなどあまりみなくなったので、若い俳優がたくさん出てきたことを知らなかった。「のだめ」に出演していた瑛太や向井理がNHKの大河ドラマで主役級を演じた。その後を小栗旬、三浦春馬たちがテレビドラマの主役で登場する。
今回の主役の榮倉奈々は知っていたが、岡田将生は知らなかった。貰ったパンフレットから彼の経歴を見てみよう。1989年生れ。2006年にテレビCMでデビュー。07年映画『天然コケコッコー』。テレビドラマ「生徒諸君」「花ざかりの君たちへ」、08年「太陽と海の教室」、09年「オトメン乙男」で連続ドラマで初主演。映画『ホノカアボーイ』で映画初主演。『ハルフウェイ』『重力ピエロ』『僕の初恋をキミに捧ぐ』と主演。日本アカデミー賞新人俳優賞。ブルーリボン賞新人賞など数々の賞を受賞。10年も『告白』『瞬またたき』『悪人』『雷桜』、テレビドラマ「黄金の豚ー会計検査庁特別調査課」、日本アカデミー賞優秀助演男優賞受賞。11年も『プリンセス トヨトミ』が公開。12年には『宇宙兄弟』に出演が決定している。
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# by ir_ihatov | 2011-09-30 20:05 | 映画
2011年 09月 12日

映画「セカンド・バージン

                    
映画の試写を見に行った。早めに行くと、途中のカフェでゆっくりできる。パン工房のカフェで明るくてパンがおいしい。バタールとバゲットがお勧めだ。わが家では、パン屋ができれば買いにいく。
ここのパン屋さんは偶然に見つけた。
映画は「セカンド・バージン」。
出版業界では名の知れた辣腕専務の中村るい(鈴木京香)は、17歳年下のネット証券の会社を起業させた鈴木行(長谷川博己)をマスコミ界の寵児にする、妻(深田恭子)のある行は、るいと愛し合う。物語は意外な方向へ転進する。マレーシアの密林へと・・・・。
絆は何で結ばれるのか。絆の薄い現代社会。映画「一命」では「家族」でさえ潰されていく。
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# by ir_ihatov | 2011-09-12 20:00 | 映画
2011年 09月 05日

「一命」

                     
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映画「一命」の試写を観にいった。3Dで観られるというので、なんばパークスの映画館に行く。南にはあまり出かけないので、街がかなり変わっていた。主演は市川海老蔵と瑛太。海老蔵の立ち回りはなかなかのもの。3Dのよさはなさそうだ。
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# by ir_ihatov | 2011-09-05 22:58 | 映画
2011年 08月 11日

私のブログの歴史

私のブログ歴は、かなり古い。子どもたちとの一年間の授業と生活について、12年間続けたフリースクール「イーハトーボ・スクール」のこと、教育や他分野での私の考え、映画の試写室からの報告、庭作りについて等を書いていた。

無料のブログサイトを利用していたために、ある時、すべてが消されていた。新たに作り始めたサイトも消えた。

そこで有料のブログサイトで書き始めたが、忙しい私の一日の生活の中にブログで仕事を報告する時間がなかった。たった二つしかのせていなかった。

私と子どもたちの日々の授業を撮影した映画作りや毎日放送、TBS系で特番として放送されたこと、テレビ番組「情熱大陸」の番組制作会社が3社も私の授業を取材してくれたことなども報告できていない。少しでも仕事をまとめながら、日常をも綴っていきたい。

また、共著としての5冊、個著として「イーハトーボ小学校の春」「イーハトーボ小学校の総合学習」(一ツ橋書房刊)以来の仕事をまとめる時間がなかった。

シリーズとして3冊目も企画されたが、編集について私の出版したい本との落差が大きく、見送ることにした。上記の2冊は、私の授業の一部分を切り取った童話のような世界である。

子どもたちを育てるのには、もっといろんな格闘があり、失敗があり、学力を上げるいろんな方法がある。

なぜ、子どもたちは楽しい毎日を送りながら、読み書き計算能力もつけていけたのかという話も抜け落ちている。そういうこともまとめながら本作りにもかかっていきたいと思っている。

今年は昨年よりも暑い日は少ないが、今は、猛暑のまっただなかである。昨年の夏とあきらかに違うのは、フクシマの原発がメルトダウン、メルトスルーを起こし、今、そのウラン燃料がどこにあるのかもわからないことだ。

どうか、このままおさまってくれることを祈りたい。また、福島、宮城の子どもたちにわざわいがおよばないことを願う。個人的には学童疎開をした方がよかったと思っている。
                     
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# by ir_ihatov | 2011-08-11 22:03 | 教室・保育室・講義室から
2009年 01月 18日

六本木アカデミーヒルズ(森タワー)での講演

「六本木アカデミーヒルズ」での講演
あの有名な森ビル43階での美しい夜景を背景に講演に行った。ジャーナリストの梶山寿子さんとの対談と「とうもろこしの授業」の模擬授業。小学校でも大阪大学でも子どもたちや学生をひきつける授業を参加者に経験していただいた。参加者の多くはビジネスマン。その他、教師、雑誌編集者、音楽関係、官僚を含む様々な仕事に就く方たち。

講演が終わるとすぐにネットに感想が出されるのには驚いた。私が教えている親から、先生のことを書いたサイトがあるよといつも教えてもらう。5年前とは、明らかにコンピューターを取り巻く環境は変わった。さて、5年後は、どう変わっているだろうか。

私は、「生きる力」としては、英語よりもコンピューターというツールの方が大切だと常々考えてきたし、授業でもコンピューターの授業を重用視してきた。いつも私の方法は、教育界とは逆行し、世の中と同調してきた思いがある。

大臣官房の方からのアクセスなどいろんな方とつながりを持てる機会になった。

少し長くなるが、「六本木アカデミーヒルズ」のサイトの文を引用したい。

これからの時代を拓く教育とは?
「スクール・アーティスト」井出良一先生による教育革命

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日時:
2008年11月14日(金)
スピーカー:
井出 良一(小学校教諭)
ファシリテーター:
梶山 寿子(ジャーナリスト/ノンフィクション作家)
「こんな授業を受けてみたい!」と子供からだけでなく、その保護者からも支持されている先生がいます。今回スピーカーとしてお話いただいた井出良一先生です。

ファシリテーターとしてお話いただいた梶山寿子氏は、2008年9月のライブラリートークにご登場いただき、ご自身の著書である『トップ・プロデューサーの仕事術』(日本経済新聞出版社 2008/06)をテーマに「クリエイティブ人材」についてお話いただきました。梶山氏が取材を続ける中で出会ったのが、大阪府高槻市の公立小学校で40年近く教師をされている井出良一先生でした。「これからの社会において必要なのは既成概念を覆し、新しいものを創造できる“クリエイティブ人材”だが、企業でそういう人材を育成しようと思っても遅い。重要なのは学校教育である。」。そう考えていた梶山氏は、井出先生の独創的で革新的な授業に感激。「このすばらしい授業が、先生の引退とともに消えてゆくのはもったいない。なんとか全国に広めたい。」ということで本を出版されました。

教育者でもあった宮澤賢治を理想としている井出先生。小学校に留まらず毎月1回行っているフリースクール「イーハトーボ・スクール」にて親子を対象に指導をされ、大阪大学の非常勤講師も務めているという井出先生の原動力と魅力は何なのでしょうか?

前半は井出先生と梶山氏の対談。後半は「とうもろこしの総合学習」の模擬授業を井出先生に行っていただき、参加したメンバーに井出メソッドを体験してもらいました。

対談では、井出先生の授業を支える独創性と強い意志がうかがえました。

教育者は頑張るだけではなく、自身も楽しまなくてはいけない。
子供達には「教える」という意識ではなく、「教育は芸術であり、教師はプロデューサーである」という意識が大切。
日々の生活の中で、疑問を持ち興味を持ったことは常にメモし、授業に出来ないか考えている。これらの素材をいかにプロデュースして子供達に渡し、知らない間に知識として降り積もらせるかが仕事である。
読み書き計算のような基礎学力に傾注するのではなく、意欲・関心を向上させる学習とのバランスが必要。意欲・関心が向上すると、学力も向上することを日々体感している。
後半の模擬授業では、会場内でポップコーン作りを行いました。「なぜ、とうもろこしははじけるのだろう?」という先生からの質問に対し、会場の参加者の表情はさまざま。小学校の理科の時間に教わった内容が、日常生活にほとんど活かされていないことを認識させられました。また「とうもろこし」という題材から、「アンデス地方」、「インカ帝国」、そして「穀物価格の高騰」へと話は広がり、教科の壁を越え国際的視野をも含む授業となりました。井出メソッドは、「自分で考え、行動すること」を重視しています。それは梶山氏が重要だとしている「クリエイティブ人材の育成」に繋がっていました。

最後に、「2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは、小学校4年生の時に感じた疑問がきっかけだったという話を聞き、とても勇気をもらった。私もノーベル賞をとるような子供を作りたい。」と力強いメッセージでライブラリートークを締めていただきました。

※今回のライブラリートークの詳しい内容は、梶山氏の著書『スクール・アーティスト―井出良一先生たったひとりの教育改革』(文藝春秋 2008/06)をご覧下さい。
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# by ir_ihatov | 2009-01-18 00:49 | 教室・保育室・講義室から
2009年 01月 17日

新しいブログのはじめに (2009年から)

忙しさの中でブログが滞ってしまった。私の環境も大きく変わってきた。定年退職で小学校の授業はこれで終わりだと思っていたら、なんと、教諭のまま、担任も持てることになった。それから3年間、1年生、1年生、3年生と受け持って小学校を去ることになる。この4月からは、また、新しい仕事に向かうことになるが、これは、また、報告したい。

新しいことに毎年挑戦してきたイーハトーボ・スクールも11年目を終わろうとしている。大阪大学での講義も学生たちの既成概念を壊しながら、こんなに楽しい世界があるのだと語り続けてきた。この3年間の中には、私学の女子短大の講義も経験した。これも私にとっては、よい経験になった。

ドキュメンタリー映画の撮影、毎日放送、TBSの私の授業の特集番組の取材、放送、いろんな雑誌での特集と立て続けに、私の授業の方法を発信できたことはうれしいことだった。新しい授業への取り組みの中で、子どもたちは、ほれぼれするくらいに力をつけて育ってきた。猛烈な嵐のような時間との闘いのような毎日ではあるが、なんと教員という仕事は、楽しい、愉快なものだと今更のように思っている。この40年の間、その気持ちが持続し、さらに上り坂になっていく幸せを綴っていきたいと思っている。

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蚕の糸は何kmある?椎の実を採り

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# by ir_ihatov | 2009-01-17 23:42 | 教室・保育室・講義室から