2026年 01月 14日
「イーハトーボ農場も原生林運動に協力した」 |
「イーハトーボ農場も原生林運動に協力した」
イーハトーボ農場は複式学級の真由、史、大の3人から始まった。私が分教場に赴任したときに、学校には生き物もいない、畑もない、ただ、田植えをして後は分教場の子どものおじいさんが世話をしていた。
それで若いころに飼っていたチャボを飼おうとしたのだった。これも私の個著「イーハトーボ小学校の春」に載せてある。
私が、畑がほしいと言ったので、教職調理員のKさんが村の人に頼んでくれて、川向うの小さな畑を借りることができた。
もうすでにこのことは、2021年10月15日のブログで書いた。
少しだけ引用しておこう。
とにかく川向うなので、うんと遠回りして橋を渡らなければならない。荷物は持っていけない。さあ、どうするか。
「考える。とにかく考える。橋まで何度も行き来するのは合理的ではない。直接、運動場の端から渡すにはロープウェイしかない。どうして作るか。
まず、ロープウェーの材料はどうするか?ロープは、鯉のぼりを初め、いろんなものに使うロープはたくさん持っている。
体育倉庫の後にもう一つ小さな倉庫があって、そこには、昔の農機具などが入れてあった。給食の食器をいれて運ぶかごが荷物の下から見つかった。
これなら、いろんなものを入れてロープウェイで運べるかもしれないと思った。
まゆちゃん、ふみくん、だいちゃんの三人とクイを打ったり、ロープを投げたりした。こんなことは子どもにとって、とてもたのしいらしい。きっと人生で初めての杭打ちだろう。
できあがったので畑のほうへ三人の子どもたちが行き、私が校舎側からかごに肥料や土やワラをれ、子どもたちがロープを引っぱって荷物を取り出す。はじめて荷物が到着したときは四人ともわあつと喜んだ。」
とにかく、小さな水田を作って古代米を植えるのだ。そこで、このロープウェイは、なんとブロックまでも運んだのだ。それをみた高学年の子どもたちも、やらしてくれともう子どもたちがどんどん仕事を手伝ってくれた。
このようすを今、思い浮かべると、小さいときに読んだ左甚五郎の漫画を思い出した。池を埋めるのに、左甚五郎は、石を投げると、受け皿に入るとその重さで、人形が水面から顔を出すことを考えた。人々はおもしろがって、どんどん石を池に投げ込んで知らぬ間に池が埋まってしまったという話である。
ちょっとそれに似ているなと思った。
そして、今度はその川向うに水道をとおすことを考えた。
というおもしろい授業をしていると、元老人会の会長さんのOさんが「先生、うちのあいている畑を使いませんか」と言ってくれた。
少し、アスファルトの道をのぼっていったところにその畑はあった。私はそのとき、これで農場ができるぞと思ったのだ。
その農場を「イーハトーボ農場」と名づけた。
そして、農場でできた作物を本校の保護者に買ってもらうことにしたのだ。さらに、「イーハトーボ農場新製品開発会議」というものを開いて子どもたちのアイデアをつのった。
そのことは個著「イーはトーボ小学校の春」に載せてある。
やがて、いろんな農場の作物や製品ができて、お金もたまってきた。
そこで、そのお金の一部を北海道斜里町がやっている「100平方メートルの原生林を作る運動」に参加することにした。
一口8000円だったか、とにかく、分教場の子どもたちの名前がその原生林につけられた。そして、証書までも送られてきた。みんなの名前まで書いてある。
総合学習の時間に北海道の自然を守る授業をしたことは言うまでもない。
今では、この運動は終了しているのだが、北海道に行けば子どもたちの名前が今でも明記されている。
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by ir_ihatov
| 2026-01-14 17:53
| 教室・保育室・講義室から
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