2026年 01月 30日
「芥川の研ぎ屋の俳句を子どもの教材に入れる」 |
「芥川の研ぎ屋の俳句を子どもの教材に入れる」
もの言はぬ研ぎ屋の業や梅雨入空
向日葵の花油ぎる暑さかな
これはいけるな。この作品はと思った。子どもたちは3年生で、4月からもうたくさんの俳句や和歌を習ってきている。今までの芥川の俳句よりちょっとむつかしいが、刃物を研ぐという行為を理解すればそれなりにわかるだろう。
わからなくてもいい。その子なりに感じて、授業が終わればまた忘れればいい。きっと、その句からなにかが子どもたちの中に降り積もっていくものがあるはずである。
何度も3月までこれから音読していくわけだから、それなりにこの句は力を発するだろう。わかる、わからないで言うならば私だってどれだけわかっているのか?
私がいいなあと思った作品を子どもと授業する。それしかない。
また、向日葵の句は「油ぎる」と「暑さ」と感覚的につながればいい。つながらなくてもいい。
芥川龍之介の俳句からは、次のような句を子どもたちと読んできた。
蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな
青蛙おのれもペンキぬりたてか
初秋や蝗つかめば柔かき
木枯や目刺に残る海の色
「蝶の舌」の句は同じ暑さを表現したものだ。「蝶の舌」がゼンマイに似ていると思うことが「暑さ」とどうつながるのかは、感じるしかない。
ひまわりの花油ぎる暑さかな
蝶の舌がゼンマイに似ているのと暑さを結びつけるのは、感覚の問題で私だって、なんとなく感覚でわかるという範囲内で、また、それが芥川の俳句のいいところなのだと思う。
詩の表現でも、今までに出会ったことがない言葉があわさって新しい何かが生まれることがある。それが詩人の感覚というものなのだろう。
私の好きな芥川龍之介の句は彼が尋常4年の時(明34年、満9歳)の作品である。(『わが俳諧修行』に載っている)
「落葉焚いて葉守りの神を見し夜かな」
芥川龍之介が4年生のときにこの句をつくったというのに、さもあらんと思う。ピカソが小さいころに鉛筆画で写実的に犬をスケッチしているのを思い出す。
芥川は明治25年(1892年)3月生まれなので、明治34年の4月から始まる尋常小学校4年生の時は、ちょうど9歳から10歳になる頃。
この句は彼が通っていた東京市本所区の回向院近くにある江東尋常小学校時代のものとされている。
私が芥川龍之介の短歌として好きなのは
「片恋のわが世さみしくヒヤシンスうすむらさきににほひそめけり」
などである。
by ir_ihatov
| 2026-01-30 17:45
| 教室・保育室・講義室から
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