2026年 02月 03日
『ジャガイモの花と実』の授業 NO.2 5年生 |
『ジャガイモの花と実』の授業 NO.2 5年生
この授業については私のブログ控えの検索では2023年10月24日に書いたことになっているのだが、ブログの検索で見つからないし、実際にその日の前後も確認したが見つからない。たぶん、見過ごしてしまったのだろう。
私はこの本を読む以前から今まで、ジャガイモに花は咲くが実がなった覚えがない。子どもたちとの授業でもジャガイモに実がなったことはなかった。それが、また、私の庭で実がなった。
そこで、少し書き直す部分も入れて、ブログに再録してみようと思った。
この本は私たちが若いころ、理科教育でいい本をたくさん書いていた板倉聖宣著で福音館書店発刊である。今でも手に入るなら読んでみたら授業に役立つだろうと思う。
『ジャガイモの花と実』という本を授業に使ったのは、30歳代後半くらいのころだったと思う。この本を子どもと読めばいろんなことを学ぶことができると思った。
そこで、コピーをとって、学年分を刷った。今なら、そんな手のかかることをしなくっても、子どもたちのタブレットに配信すればすむことであるが。
授業というものは、そのときの使える技術や方法を駆使して行うものだと思うので、基本はいつの時代でも変わらないものだと私は思っている。
まず、この本のあらすじを紹介しよう。
初めの方は「花が咲いて実がなる」という話である。これは、大切なことで、しっかりとまなばねばならない。なんのために植物は花を咲かせるのかというのが基本の知識となり、植物の中には花がさいても実がならないということも知識として学ばねばならない。
このことは低学年でもしっかりと学ぶ。朝顔を育てて種をとる勉強もそうだ。余談だが、私が教員になったころ、朝顔飼育セットというものは教材社で売られてなかった。
そこで、教員がすべてを用意していたわけだ。植木鉢は重いので、100円でプラステックのを見つけてきた。
朝顔の種の発芽が悪かった。そこで、朝顔の種の芽の出るところをカミソリで薄く皮をはいで、水に一晩ひたして植えさせた。
そういう教材だったので、教員たちの「朝顔」という教材に対する批判も全国的に多くあって、大豆を教材にしようという主張もかなりあったわけである。
この本によると普通のジャガイモには花は咲いて実がなることがたまにあるが、アーリーローズというジャガイモには実がめったにならない。
このジャガイモの品種改良をしたルーサー・バーバンク(いまから100年ほどまえとかかれているが、1862年のことだから160年ほど前の話だ)
ジャガイモにはたくさんの種類があるが、今の日本に多くあるのは男爵、メークイン、インカのめぐみなどだろうか。ジャガイモが今のような形になったのは1人の青年の努力によるものであるということが、この本に書いてあるのだ。
かれは、何年かして、ダーウィンの本を読むことになる。そして、本気でジャガイモの品種改良にとりかかるのである。
たった1個のジャガイモの実から何度も種をとり、バーバンク・ジャガイモをつくりあげたのだった。
「かれは、東海岸にあるマサチューセッツ州にいましたが、今度は西海岸に引っ越して、白い皮のジャガイモをつくることに成功しました。かれは実験農場でリンゴ、ブドウ、モモ、ナシ、プラム、さくらんぼなどのくだものをおいしくしたり、大きくしたりしました。いちご、アスパラガス、アザミ、アマリリス、カンナ、ダリア、ヒナギク、グラジオラス、ユリ、ヒナゲシ、バラなどの花も新しい美しい品種をつくりあげました。」
「フランスでも1771年におもしろい話があります。凶作になってもフランスの農民はジャガイモを知りませんでした。国王のルイ16世がうえるように言っても知らないものはうえられないと植えませんでした。
そこで、国王と王妃のマリーアントワネットは、ジャガイモの花を服の飾りにさしてパーティに出たのです。そのうつくしいこと。みんなは、それぞれの領地でジャガイモを植えるように言いました。しかし、なかなか保守的な農民にひろがりません。
そこで、ジャガイモを山と積んで、まわりに囲いをし、番兵をたたせました。夜は、番兵は引き上げました。すると農民はよほどすばらしいものがあるのにちがいないとジャガイモをこっそりと盗んで植えました。
このようにしてジャガイモはヨーロッパに広がっていったのです。」
というようなお話もこの本にのっている。
私は、この本のコピーをとって、学年分を刷った。それを本にして、勉強をしたのだった。私は一人だけで授業をすることもあるが、できるだけ、学年全体でとりくむように努力してきた。
井出さんと学年を組むと教科書以外のこともしないといけないのでしんどいという教員もいたが、いろんなことを企画し、準備もしてくれるので楽だという教員も多かった。学年会計から、運動会の指導、学年音楽の指導、学年発表、総合学習計画、授業研究発表までやってくれるので、喜ぶ人もいた。
家の庭で、ジャガイモを植えていたらまた、実がなった。学校では実がなったことがないのに。
生ごみに混ざっていたジャガイモからジャガイモがとれた。生ごみを雑草とお茶、珈琲などと鶏糞を混ぜて、肥料をつくっているものだから、ジャガイモがどんどん大きくなり、花も咲いた。そして、その2本のジャガイモに実がなったのだ。ジャガイモに実がなるのは2回目だ。たしか、男爵。
おまけに、掘り返すと、おおきな男爵イモが10個くらいとれた。
くわしく調べてみると、本に載っているお話は、フランスの薬剤師であり農学者でもあったアントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエという人物が、ルイ16世の協力を得て行った有名なエピソードが元になっている。
ルイ16世にジャガイモの有用性を説いたのが、このパルマンティエ。彼は七年戦争でプロイセンの捕虜になった際、ジャガイモを食べて生き延びた経験から、その栄養価の高さを確信。当時、フランスでジャガイモは「豚の餌」や「ハンセン病の原因」とさえ信じられていたため、彼はあえて「厳重に警備することで、価値があるものと思わせる」という心理作戦を国王に提案したと言われている。
王妃がジャガイモの花を髪飾りにしたことで、貴族の間で一気に「流行」となった。これは「食べ物」として広める前に、まず「高貴なもの」というイメージを植えつける戦略。
後にフランス革命期などの深刻な食糧難を救う一助ともなった。一方で、パルマンティエ自身はフランス革命後もその功績を認められ、現在でもフランス料理で「パルマンティエ(Parmentier)」の名がつくメニュー(アッシ・パルマンティエなど)は、必ずジャガイモが使われるという。
パルマンティエの「囲い」は本当か?
パルマンティエが「昼間だけ番兵を立て、夜はわざと盗ませた」というエピソードは、彼の弟子によって記録されており、歴史的な記述としては存在しているらしい。
この話が本当かどうかは確認しようがないが、実際は「法令」の力が大きかったらしい。 フランスでは1748年からジャガイモ栽培が法律で禁止されていたが、パルマンティエらの働きかけで1772年にようやく解禁。普及の決め手は、こうした法改正や、王室がファッションとして取り入れた「イメージ戦略」の成功、そして何より飢饉の際の圧倒的な収穫量という実利によるものであったらしい。
日本ではジャガイモは、1598年頃、オランダ船によってジャカルタ(ジャガタラ)から長崎に伝えられ、当初は観賞用だったが、江戸時代の度重なる飢饉を救う「御助芋(ごじょいも)」として全国に広がったことは日本史の学習でも教える。
なにより、この『ジャガイモの花と実』という本は、知識だけではなく、バーバンクという若者の生き方から子どもたちは影響を受けるはずである。興味を持ったことに全力で向かっていく生き方はすばらしいものだ。私は、そういう意味でもこの本を教材とすることはとてもいい授業であったと思っている。
また、2026年の現在ならば、品種改良については、ノーベル賞も受賞した「CRISPR-Cas9」(クリスパー・キャスナイン)と呼ばれる「ゲノム編集」の画期的な手法が開発されていることも授業の中に入れ込む必要があると思われる。
by ir_ihatov
| 2026-02-03 18:09
| 教室・保育室・講義室から
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